友永 陽

Our Team

氏名 友永 陽(ともながあきら)
出身地 東京都新宿区
生年月日 1989年8月15日 (獅子座)
血液型 A型
家族構成 独身
趣味・特技 サウナ ・ 野球観戦 ・ 食べ歩き
その他 新宿区→武蔵村山→現在、新宿区在住

前職で、住宅ローンに困っている方に対応しました。
その経験を生かし、お客様の願望の実現を賃貸併用住宅でご提案します

― はたらくおうちには、いつ入社しましたか?

2021年6月です。

― それまでも不動産の仕事をしていたのでしょうか?

いえ。信用金庫と、外資系保険会社にいました。

― これまでのキャリアを教えていただけますか?

大学を出て、最初は地元の信金に入社しました。

― なぜそちらの信金を選んだのですか?

スーツを着て、かちっとした感じで仕事をしてみたいなという憧れがありまして。(笑)また、高校の野球部の先輩がいたので、それもありました。

― 学生の動機は、そんなものですよね。(笑) 職種は営業ですか?

営業です。法人様や個人様に、お金を借りていただく仕事です。

― 借りてもらう取引先は、どうやって見つけるのでしょう?

基本的には、ルート営業のような感じです。既に取引している会社様を回って。
そこの社長様からお知り合いを紹介していただいて、新たな取引につなげたり。

― 飛び込み営業などもするのでしょうか?

飛び込みもしました。担当エリアを回っていて、取引がない会社が近くにあったら飛び込んだりしてました。

― 営業の仕事は成績がつきまといますが、どうでしたか?

おかげさまで、割とうまく。営業員が全体で200人いて、上位3割くらいの人が期ごとに表彰されるのですが、その中には入っていました。

― そうなんですね。何年くらい勤めたのでしょう?

トータルで4年いて、その間に2店舗に配属されました。

― 4年の間に、楽しかったことやつらかったことはありますか?

基本的には楽しくやっていました。最初に配属された支店は比較的穏やかな所だったんですが、2店舗目が「数字を上げなさい」という所だったんです。 そこにいた時は、ちょっときつかったです。

― きついというのは、やはり目標が高くてたいへんだったんでしょうか?

それもありますが、案件数がとにかく多いので本当に忙しかったんです。

― なるほど。

「色んな銀行が借りてくれと言って来てるから、一番早く融資実行してくれるところから借りるよ」と言われたり。「では、いつまでに融資実行します」と言って進めるんですが、書類の整備で時間がかかって本当にギリギリで実行したり… そういう時間に追われることが多かったです。

― すごいですね。

毎日、精神的に追い詰められている感じでした。

 

外資系保険会社へ転職

― そこから、転職する訳ですね。

はい、そうです。

― 転職活動したんでしょうか?

いえ。会社の営業の先輩から、「外資の保険会社で、すごい営業の人がいる」と。「一度話をしてみて、聞いた方がよい」と言われたのが最初のきっかけで。

― 紹介されたんですね。

そうです。「保険に入らなくてもいいから、その道のプロの話を一度聞いてみた方がよい」と言われて。

― 会ってみて、どうでしたか?

すごかったです。キラキラしていて、世の中にこんな人いるんだと思って。説明された保険もすごく良いものに思えて、結局その場で入ってしまいました。

― そこまでですか! 何がそんなにすごかったんでしょう?

会ったのはファミレスだったんですが、自分だったら周囲に気を遣って、小さめの声で話すと思うんです。けれどその人はそういうのが一切なしで。周囲を全く気にしない位の声で、「この場にいる全員、俺を見ろ!」ぐらいの勢いで。

― すごいですね。

自信の塊みたいな人で。それに圧倒された感じです。身なりも、パリッとしたスーツを着て。背も高くて。「ザ・外資の営業マン」みたいな人でした。

― そこから、スカウトされたんですか?

その人となんとなく気が合って、定期的に連絡を取り合うようになりました。時々飲みに行ったりして。 そうしたらある日、「今度、自分がマネージャーとなってチームを持つことになった。一緒に働きたいので、一度面接を受けてくれないか」と言われて。それで面接に行きました。

― 面接に行ったのですね。

面接もすごかったです。

― どうすごかったんですか?

最終面接の時、「内定出すけれど、条件が二つある。一つは、覚悟を持ってやってほしいので、会社の近くに引越してほしい。会社から何歩のところに引越しますか?」と言われました。

― 「分」じゃなくて「歩」ですか!

私もそう言いました。(笑) 本当にそう言われたんです。
「終電なんかを気にして仕事しないように」ということで。それぐらいの覚悟でやりなさいという話でした。もう一つの条件は、「退職届を明日、今の勤め先に出してください」と言われて。

― 実際にそうしたんですか?

はい。翌日に退職届を出して、保険会社の本社に徒歩5分位で行ける賃貸マンションを探して引っ越しました。

― それまではご実家ですか? だとしたら親御さんもびっくりしたんじゃないですか?

実家でした。親もびっくりしてましたね。「せっかく安定したところにいるのに、どうして外資の保険会社に転職なんかするの」と言われて。 でも最終的には、あなたの人生だからと言われましたけど。

― 信金に愛着や未練はなかったんでしょうか?

いい人たちと一緒に働けてましたので、申し訳なく思いましたね。別に嫌で辞めた訳ではなかったので。

― 不満もなかったんですね?

不満ではないですが、支店間での異動も多いので。「自分のことを知りもしない上層部の人に、駒のように動かされるのは嫌だな」と感じていました。なんだか人生を握られている感じがして。
保険会社の方は固定給なしのフルコミッションで、完全に自分の力だけなんです。やり方とか、時間の使い方とか、全部自分で決められる代わりに、全て自分の責任になる環境に、一度身を置いてみたいというのはありました。人生一回なので、面接に受かったのならトライしてみようと思って。

― なるほど。ちなみに、保険会社のすごい人を最初に紹介してくれた先輩は、今どうなさってるんですか?

その人は、今も信金にいます。(笑)

― 「時間の使い方も自由」とのことですが、就業時間なども自由なんですか?

会社には、月曜日と木曜日の会議の時だけ行けばよいシステムでした。立場も、雇用される訳でなく、個人事業主なんです。

猛者の集まりの中でハードワーク

― 外資系保険会社に入ってみて、どうでしたか?

猛者の集まりで、すごかったです。面接の時に「うちは基本、六大学以上のレベルの人じゃないと採用してません」と言われてたのですが、入ってみると本当に早稲田や慶応だらけで。
面接の時にも、「信金で多少実績出しているぐらいじゃ全然ダメだよ。それでもやりますか?」と言われてたんです。逆に、そんなこと言われたらやるしかないと思って、「これまで誇れるような実績も出してない奴かもしれないけど、そんな奴が入ったらどんな仕事をするか見てください」とプレゼンして、入れてもらったんです。

― では、入ってからはハードワークをしたんですね?

そうですね。面接でそんな啖呵を切ってしまったので。最初の頃は、夜中の1時2時まで仕事してました。

― 本当に、終電を気にしない生活になったのですね。

最初は覚えることが多かったし、資格も取らなければならないので。同期と一緒に夜中まで勉強したり、朝も早く起きてやってました。完全に体育会系でしたね。
眠かったですが、それはそれで楽しかったです。

― 同期さんや同僚さんも、ライバルではないのですか?

お客様がかぶるようなことは滅多にないので。ライバルではなく、みんな同志という感じでした。 困ってたらみんなで助けますし、みんなで成功すればいいよねという感じで。お互いでロープレしたりしました。

― なるほど。保険の営業というのは、どうやって顧客を見つけるのですか?

ほとんどが紹介ですね。保険をご提案して、それで私という人間を信頼してもらい、お知り合いを紹介していただいて。その繰り返しです。

― けれど保険て、契約した後に、そんなに接点がある商材ではないですよね?

そうですね。なので、契約していただいた時が一番のチャンスです。それと、保険証券をお渡しする時も。

― 保険証券を、郵送でなく手渡しするのですか?

そうです。保険証券は必ず手渡しする方式だったんです。アポをいただいて、あらためて再度ご説明して、ご納得いただいた上でお渡しします。卒業証書みたいな、立派なファイルに入っています。

― そういう方式なんですね。紹介の他にも、営業方法はあるのでしょうか?

色々試しました。ターミナル駅で歩いている人に声かけたりとか。

― いきなり声かけるんですか?

そうです。ナンパと同じですね。(笑) 後はゴルフでお客様を見つける人もいれば、合コンを組みまくる人もいます。異業種交流会とかもみんな行ってましたが、私はあまり好きではなかったですね。そういう人ばかり集まってくるので。とにかく、お客様を見つけるためにはなんでもありでしたね。

― 活動範囲は、やっぱり主に首都圏ですか?

そうですね。大阪とかにも行きましたけど、交通費などの経費も全部自分持ちなので、効率が悪くて。

― なるほど。それで、営業実績はどうでしたか?

最初は頑張れました。ハワイの表彰式にも行きました。

― すごいですね!

けれど、それは1年目だけでして。2年目3年目は、沖縄の報奨旅行止まりでした。

― 頑張ったら、右肩上がりになりそうですけどね。

私を信頼していただいて、契約して紹介していただいて、というルーチンを、なかなか構築し切れなくて。だんだん行き詰まって来てしまいました。

― 固定給なしのフルコミッションですから、食べて行くのは大丈夫だったんでしょうか?

正直、きつい時がありました。何よりきつかったのが家賃で。会社の近くで都心だったので、1Kで11万円払っていました。

― それはきついですね。

活動のための経費も自分持ちなので、経費がないから活動ができなくなって、活動ができないとお客様と会っていないから契約も取れなくてという、悪循環に入りました。

― 負のスパイラルですね。

踏ん張り切れなくて、自分の力のなさを感じました。
そうなると、「このお客様にはこっちの保険が合っているけど、こっちの方が報奨金がより多く入ってくるな」と考えるようになってしまうんです。本来はお客様のために考えて提案をしなきゃいけないのに。 我ながら「うわ、最悪!」と思って、自己嫌悪になりました。「こんなこと考えるから、余計売れないんだ」と思って。

― そこからどうしたんでしょうか?

そのタイミングでコロナ禍になり、活動もままならない状態になったこともあって、保険会社は退職しました。

― コロナ禍は、営業活動には大きな打撃ですよね。

そうですね。人と会えなくなってしまったので。

― 転職活動はしたのでしょうか?

いえ。辞めてから、色々考え始めました。

 

住宅ローンで困っていた方の記憶が蘇った

― どんなことを考えましたか?

「自分が本当にやりたかったことってなんだろう?」と考えて。お金を稼ぎたいのか。何かやりたいことがあるのか。本を読み漁ったり、考えを書き出したりして。どういう人間になりたいかとか。色々考えました。 そうしたらそのタイミングで、保険会社の先輩が、はたらくおうちのことを紹介してくれました。

― その方は、なぜはたらくおうちを知っていたんですか?

はたらくおうちの代表の沖村と、知り合いだったようです。「面白いことをやっている会社がある」と言われて。「次が決まってないなら、別に入らなくてもよいので一度話を聞いてみたら?」と言われました。

― なるほど。その話を聞いてどう思いましたか?

正直、不動産の仕事をするというのはイメージしていなかったので、「不動産かあ」という感じで。

― 異業種ですものね。

けれど、「賃貸併用住宅をやっている」と聞いて。「賃貸併用住宅ってなんだろう?」と思って調べたら、信金時代のことを思い出して。 信金時代に、住宅ローンの返済がきつくて苦しんでる方を見たことがあるのです。返済額を減らす相談もされたことがありますし。そのことを思い出して、「これは良い仕組みだ」と思いました。

― 住宅ローンに苦しむ方は、実際にいらっしゃるのですね。

はい、いらっしゃいます。 信金時代のことを思い出して、「賃貸併用住宅で救われる人は、世の中にたくさんいる」と思いました。自分が自信を持ってお客様に勧めることができる、価値がある商品だと思いました。最高だと思いました。

― かつて信金に勤めていた身からも、そう感じたのですね。

はい。「これを専門でやっていて。そんな会社って少なくて」という話を先輩から聞いて、「これは是非話を聞いてみなくては」と思いました。

― それで、はたらくおうちの沖村社長と会ったのですね。

はい。先輩と私の2人ではたらくおうちの事務所に来て、代表と3人で話しました。代表が本を出しているということだったので、事前に買って読んでおきました。はたらくおうちのホームページも、隅々まで読みました。

― すごい入れ込みようですね。(笑) 沖村社長の第一印象はいかがでしたか?

不動産のイケイケの社長さんが出てくるのかなと思ってたんですが、すごく優しい感じで意外でした。(笑)

― 皆さんそう言いますね。(笑) そこで、どういう話をしたのでしょう?

「何かやりたいことあるの?」といったことを聞かれて。これまでどういうことをしてきたか、ですとか。主に私が話した気がします。あまり賃貸併用住宅の話をされた覚えはないです。

― 面接という訳ではなく、まずは会ってみましょうという感じだったのでしょうか?

そうですね。私はどういう人間です。こちらはこういう会社です。と紹介し合う位の感じで。

― 一通り話したら、その日は解散したのですか?

はい。興味があったらまた会いましょうという感じで。

― それからどうしましたか?

持ち帰って、考えました。そこで、保険会社で自分が一番苦手だった分野も補完できるなと思いました。

― どういうことでしょう?

保険会社時代に一番苦手だったことは、新規のお客様を探し続けるということでした。目の前にお客様が座って話をさせていただければ、お客様のご要望やニーズをお聴きして、それに対して良い提案をできる自信がありました。けれどその段階まで持って行くことがなかなかできなかったんです。

― なるほど。

けれどはたらくおうちでは、賃貸併用住宅という商品にご興味を持ってくださった方が、お話をする対象になります。その方々に賃貸併用住宅を詳しくご紹介し、ご要望をうかがいながら、それに沿った賃貸併用住宅を実現して行くことが仕事になる。これなら自分の強みを活かせるし、そういう条件が揃うことってなかなかないなと考えました。 それに何より、賃貸併用住宅で救われる人は確実にいると思い、それに関わることができるのなら、是非やらせていただきたいと思いました。

― 運命的な出会いですね。そこからはどうしましたか?

その後一度、保険会社の先輩と、代表の沖村、それにはたらくおうちの早川、そして私の4人で、飲み会がセッティングされました。その場で代表から「君のことをいいと思ってるので、その気があったら連絡ください」と言われました。それからしばらくして、私から電話で入社したい意思を伝えました。

 

融資が難しい方に貢献したい!

― 入社して、どうでしたか?

不動産のことを本当に知らなかったので、完全に一から勉強でした。会社側もそれはわかっていたので、「一年ぐらいはじっくり育ててから、実際にお客様に対応してもらう」ということを最初から言われていました。

― 今は、お客様に対応するようになったのですね?

はい。ほぼ一年経ちましたので。

― 賃貸併用住宅の仕事というのは、不動産業界の中でも一番難しいのですよね?

そうです。勉強して行くうちにわかって来ましたが、土地、建築、賃貸募集、賃貸管理、それぞれに関連する法規、その全てについてわかっていないとお客様の役には立てなくて。正直、「たいへんなところに来ちゃったな」と思いました。(笑)
けれど、それは勉強すればよいことですので、貴重な経験になると思ってます。

― 特に苦労したことなどはありますか?

おはずかしいのですが、メールを打つのが苦手です。

― そこですか! これまでメールはあまり使って来なかったのですか?

お客様と約束を決めたりは、基本的に電話でやって来たので…。メールを使うのは、資料を添付で送る必要がある時くらいでした。

― お客様に電話をすると、「今、出られるタイミングじゃないので」と言われたりしませんか?

言われます。よくあります。 だから使ってみると、メールの良さは確かにあります。お客様が見られるタイミングで見てくださって、返信もしてくださるので。それは確かにあると思いました。
これまでそういうことに気づきもしていなかったので。

― 苦手なのは、タイピングですか? それとも文章を作る方?

文章の方です。だから送信する前に先輩の早川に見てもらって、「この文章じゃダメ!」と言われたりしてます。(苦笑)

― 銀行や信金では融資の審査を通すために、お客様にヒアリングをした上で、資金使途や返済可否の安全性を物語のようにして書いた稟議書を作り、審査部署に上げるというお話を聞きました。

仰る通りです。それはさんざんやって来たので、できます。「審査部はここを見るな」「これは書いておかないとダメだな」ということを考えて稟議書類を作ります。

― そこで使う文章力と、メールは違うのですか?

会社の中で回す書類の文章と、お客様とのコミュニケーション手段としての文章では違うので…。例えば、用件だけ書いて一文だけで終わらせるのがいいのか、あるいは何か書き添えた方がいいのか、とか。かしこまった方がいいのかとか、砕けた方がいいのか、とか。そういうところがわからなかったんです。

― 確かにそうですね。それにお客様とのやり取りだから事務的な文章でなく、相手の心の琴線に触れる必要がある訳ですものね。

その通りです。「それをメールでやるの?」と思って。
でも、実際に先輩たちのやり取りを見ていたら、「メールでこんなにやり取りができて、物事が進むんだ」と驚きました。今では私も、最初の頃よりはかなりできるようになったと思いますが。

― メールスキルについても、不動産の知識と同様に絶賛向上中という訳ですね。

そうですね。これはずっと勉強し続けるべきものなんだろうなと思います。

― たいへんと思いますが、今は楽しいですか?

楽しいです! いよいよ、賃貸併用住宅でお客様に貢献して行けるというワクワクがあります。
また、これまでいた会社は良くも悪くも、やることがかっちり決まっている会社だったと思うんです。そこのところ、はたらくおうちはまだまだこれからの会社なので、決まっていることが少ないなと感じました。その中で自分がこうしてみると良いと思うことを提案して行ったら、それが今後スタンダードになって行くのかもしれない。会社をどんどん良くして行って、これまで以上にお客様に貢献して行く、その一翼を担って行きたいと思っています。

― どういったところを、自分の強みとしてやって行きたいという考えはありますか?

やはり、信金に以前いたというのは自分の強みになると思っています。

― 詳しくお願いします。

賃貸併用住宅の購入は、やはり必要な金額で住宅ローンが組めるかどうかが大きなポイントになります。通常の戸建やマンションを買うよりも大きな金額を組む必要があるので、そうするとやはり、世帯年収が安定してある方が、融資審査が通りやすい。
一方そういった方々は、賃貸併用住宅を購入しなくても別にお困りにはならない訳です。

― そうですよね。

一方、賃貸併用住宅を本当に必要としている方は自営業や個人事業主などで、波がある方だと思うんです。生涯の支出の4割と言われる住居費を、削減できる訳ですから。

― はい。

けれどそういった方は、一般的にはなかなか融資を組みづらい。そこに壁がある訳です。
そこで、融資の通し方を知っている私がアドバイスをさせていただいたり、金融機関に掛け合うことによって、賃貸併用住宅を実現していただき、大きな負担である住居費を削減していただいて、自分のお仕事に専念していただきたい。そう思っているんです。

― 賃貸併用住宅の購入には、必ずつきまとう壁ですよね。けれど現実問題、そのようなことが可能なんでしょうか?

最初にご相談にいらした段階では、やはり融資が難しくて、すぐには無理かもしれないです。けれど、どこまで売上を上げていただいて、所得金額を上げていただければ、融資が通る土台に乗るのか。そういうことはアドバイスできますから、それを知っていただくことはとても有意義と思うのです。

― なるほど! 確かにそうですね。

そうしたらそれを目指して頑張っていただければ、1年後には融資が通る可能性が出てくると思うんです。

― しかしそうすると、友永さんとしては直近で契約をいただくのが難しく、かなり先の話になってしまうかもしれませんが、それでよいのでしょうか?

もちろんです。それが自分の使命だと思っていますから。ですので「今の自分の収入では無理だろうな」という場合でも遠慮なく、ぜひご相談にお越しいただきたいと思っています。

― 保険会社時代には友永さんも個人事業主の立場で、固定給なしの経験をなさった訳ですから、その経験も活きそうですね。

まさに仰る通りです。私が個人事業主の時に知っていたら、はたらくおうちを買いたいです。(笑) 自分ごととして考えられますから、保険会社時代の経験をここで活かさなくてはと思います。

― 自分が経験しているからこそ、自分ごととして考えられますものね。

そうですね。保険会社時代にそれを見失ってしまった失敗経験もあるので、全てのお客様について「自分ごと」として考えて、その方にとって本当に良いものを考えなければと思います。

― 大事なことですね。

友永の生い立ち、プライベート

― お名前がユニークですが、どういった由来ですか?

父が映画監督の黒澤明を好きで。アキラはそこからもらったそうです。でも字は変えたくて、両親で良い字を探してこれにしたんだそうです。

― 太陽の陽でアキラなんですね。この漢字でこういう読みもあるんですか?

そうですね。あるみたいです。

― 自分の名前、気に入ってますか?

はい。とても気に入ってます。

― ご実家は武蔵村山市とのことでしたが、ご出身もそちらですか?

そうですね。小学2年までは新宿区にいたんですが、父の仕事の転勤で武蔵村山に移って。

― ご家族の構成は?

両親と、双子の兄で、4人家族です。兄はもう結婚して家を出てますが。

― 双子なんですね。ちなみにお兄様はお仕事は何を?

ずっと保育士をやってます。

― それはまた、友永さんとは違う方向ですね。(笑)

そうなんです。真逆なんです。

― 独身ですか?

独身です。予定もないです。本当に、兄とは逆です。(笑)

― 親御様のお仕事は?

父が郵便局勤め。母はピアノの先生をしてます。

― お母様がピアノの先生! すると友永さんも弾くのですか?

完全にやらされてました。(笑) 小学校の頃までは、「先生の子どもが発表会に出ないのは体裁が悪い」と言って、発表会の3ヶ月ぐらい前から練習させられて。発表会が終わったらもうやらなくなる、の繰り返しで。

― 弾いてても好きになれなかったですか?(笑)

なれなかったですね。全然楽しくなかったです。中学に上がって、やっと免除してもらいました。

― やっていたのはピアノだけですか?

子どもの頃から野球をずっとやっていました。父がライオンズファンなので、その影響で。自分もライオンズファンになりました。

― 獅子座なのは、運命を感じますね。

そうですね。(笑)

― 野球は、野手ですか? 投手ですか?

野手です。ショートをやっていました。打順は1番や2番あたりが多かったです。足も速かったので、とりあえず塁に出るというポジションで。 4番とかもやってみたかったですけどね。ホームランをガンガン打つようなパワータイプではないので。

― 右利きとのことですが、野球をやっていると左にさせられたりしませんでしたか?

小学校の時にやらされました。「一度左で打ってみろ。今週中にそれでヒット打てたら、左で行くから」と言って。そうしたら全然ダメで、すぐ戻されました。(笑)

― 野球は、今もやっていますか?

一応草野球チームには所属してますが、今は土日が休みでないので、最近は行けてないですね。

― それ以外には、趣味は?

ライオンズの試合を観に行くのと、サウナに入りに行くことでしょうか。地元のスーパー銭湯などによく行きます。

― 映画なども観ますか?

映画館に積極的に行く方ではないですが、Netflixはよく観てます。ブラック・リストというアメリカのドラマが好きで、全シリーズ観ました。スパイ系やサスペンス系が好きです。

― 007なども好きですか?

好きですね。007の中ではゴールデン・アイが好きです。ミッション・インポッシブルや、オーシャンズ11も好きですよ。

― 音楽はどんなものを聴きますか?

父の影響で、奥田民生やユニコーン、ブルーハーツ、ハイロウズ、エレカシなどを聴きます。

― 90年代くらいの音楽を聴くんですね。

それと、矢沢永吉も好きです。音楽というか、人が好きですね。

― 本やマンガなどは?

野球をやってましたので、ドカベンやメジャーが好きです。メジャーのアニメも良く見てました。

 

友永からのメッセージ

― 最後に、お客様へのアドバイスやメッセージをお願いできますか?

はい。賃貸併用住宅は現実として購入のハードルがあります。購入できるというのは素晴らしいことですので、現時点で購入できる方は、自分がそうだと気づくだけでも人生の選択肢が増えると思います。
現時点では難しい方も、先ほどお話ししたように「ではどうすれば買えるようになるのか」といったアドバイスを私からさせていただくことができます。
いずれにしてもまずはお気軽に、ご相談にお越しいただければと思います!

― ありがとうございました。

わたしたちにも
「はたらくおうち 」できるかしら?

賃貸併用住宅や、マイホーム購入に関するモヤモヤを解決します。
一生に一度の買い物を「手探り」にしないための相談会です。